只、静かなる所を終の住処とせん為に

或る男(あるお)です。主に無知な男が詠んだ拙い俳句を載せております。添削・ご指導、ご感想などをコメントに頂ければ幸いです。

ご挨拶

私はときに面倒な生き物で、気付かぬうちに心が膨れ、ガス抜きが必要になるときがある。そうなる前に私がすること。それは俳句を詠むことである。

 

数年前、今となっては些細な事情で心身に疾患を患い、或る人に解毒の手段として俳句を教えて頂いた。

「心を言葉にして外に吐き出せ」と。

それが、私と俳句の出会いである。

 

それから、日々落ち行く心を奮起させるため、ときに心を鎮めるため、句を綴るようになった。来る日も来る日も句を詠んだ。目に入る光景を、心の揺れ動きを、昔の記憶を、五七五のパズルにあてはめ続けた。

 

そのうち、俳句に対する感情に変化が現れた。「愉しみ」を覚え始めたのだ。道具として使っていたはずの俳句が、いつの間にか、私の隣に腰を下ろしていた。

音もなく。

 

同時に、今まで何も感じずに生きてきたこの国に対しても、価値が変わった。日本語の美しさ。少ない文字に込められた多くの情景、感情。それに伴う、日本の原景、古き家、人々。全てが愛おしく感じられるようになった。いや、今までは、何も感じていなかったのではなく、何も見ていなかったのかもしれない。網膜で感じていたことを、脳が御節介にもフィルタリングしてくれていたのだろう。

 

「十七音の文章を組み立てる」たったこれだけの行動が、私という人間全てをかくも容易くひっくり返したのである。

 

もっと上手になりたい。この気持ちを他の方にも伝えられるような句を作りたい。今際の際まで考え続けたい。そう思うようになったのは昨年の暮れ。きっかけなんて何もない。いつかこうなるだろうと思っていた気持ちが、ぱっと日の目を見ただけだ。

 

俳句を学ぶことに生活の全てを費やしたいが、現実はそうもできない。ならばいっそ駄作覚悟で公の目に晒し、添削を受けられれば幸いと重い腰を上げたのが、このブログを立ち上げた所以である。

 

いつか来る老後を素晴らしきものとするために。最期の瞬間を笑顔で迎えるために。

 

私の拙い俳句をご指導頂けたら幸いである。

 

或る男