しなる穂に笑う新米泣く子舞い
秋の季語が兼題となり考えた句である。
新米を擬人化し、しなる程に笑いが止まらぬという様子と、見ている方ももうすぐ食べられる笑いをダブルミーニング的な意味あいで中七を作った。
下五は掛詞(と言えるものかどうかはわからない)となっており、当初は「泣く古米」としていたが、米米と続くと読んだときに鬱陶しいかと考え、影の意味で持たせようとしていた、泣いた子が舞うほど嬉しい様子の「泣く子舞い」に変えた。
こちらの句について、駄目な点をご指摘頂けたら幸いです。
私の実家は農家で、米と少量の野菜を作っている。
あとは果物を作っているが、ここでは多くは語るまい。
もちろん精米機も実家には備え付けられている。いつも精米したての米が食べられる、という米好きにはたまらない状況だ。精米した米の旨さを知ったのは、家を出て一人暮らしを初めてからになってしまったが。そして言うまでもなく、私は米好きである。
毎年九〜十月に稲刈りが行われる。では、それが終わればすぐに新米が食べられるかというと、そうもいかない。
去年の米、いわゆる古米(ふるこめ、とも言う)がまだ備蓄されているのだ。当然、先に収穫した古米から、消費していかなくてはならない。
下世話な話だが、彼女とは他の好きな人が出来たが、彼女がそれを許さない。彼女との関係が終わるまで、次の恋には進めない。
例える必要性が全くなかったが、例えるならそういうことだ。
なお、念のために断っておくが、私にはそのような行動を取る気持ちはないし、取れる勇気もない。
大凡、十二月になると、ようやく古米も底をつく。そしていよいよ新米の登場だ。
待ちに待った瞬間。炊きあがりの蒸気すら愛おしい。
古米を食べ続けると、新米に切り替えた初回の蒸気が異常に甘い香りに感じられる。
そう。シャンプーをメリットからアジエンスに変えた時のあの感覚だ。全てが劇的に変わる。
農家の息子というポジションは、飽きるほど米を食べられるというメリットがあるのだが、当然デメリットもある。
一つは手伝い。そして早起きである。
学生時代は休日寝ても寝ても寝たりないものだった。それでも、学校にいくのとほぼ変わらず、時にはそれよりも早い時間に叩き起こされ、手伝いをすることになる。
手伝いをする、ということは、休日の時間をプライベートな時間として使用することができない。友達との交流も平日限定となってしまうわけだ。
このような境遇の中、まだ青かった私は農家というものをものすごくネガティブなものとしてとらえ、農家の息子であることに一種のコンプレックスを抱いていた。
しかし、学生時代に一度だけ、そのコンプレックスが逆転した時がある。
かつて、日本全体が米不足に陥った際、巷には日本米がほぼなくなり、代わりに輸入米のタイ米が流通していた。友人が不満とインディカ米を口にする中、もちもちとした日本米を頬張っていたときは、なんとも言えない優越感と、農家である父の偉大さを感じた。
人生の中で数少ない、父に感謝した例の一つである。
あの瞬間、心で泣いていた私は、笑いながら舞っていた。
或る男